とにかく書いて書きまくる。
と、決めていた。決めた。
しかし、これがなかなか続かない。
どうしてか。
経験が足らない。そうとも言える。
モチベーションが上がらない。そうかもしれない。
熱意がない。そうかもしれない。
努力が足らない。そうかもしれない。
書かなければどうなるか。はっきりしているのは、足跡が残らないこと。そして、気持ちが残らないこと。
やるぞと決めた。やった。できた。できるんだ。 この気持ちの達成感が得られない。
だから、無条件にキーボードのホームポジションに両手を置いてキーを打つのだ。
文章を入力する。のではない。キーを叩くのだ。叩けば文字が画面にうつる。
それが、今の自分のなにげなく打ったキーボードに自分の気持ちが反映されているのだ。
自分が打ちたいから打ったのではない。打つべくして打ったのだ。
これが、スタートだ。
なんと言う文字が写されたのか。この文字が表す言葉。
この言葉の意味のとり方で、自分の思いを想起していく。どんどんでてくるようになる。よどみなく。
こうなれば、最高だ。書きたいということではなく、画面に現れる自分の分身がなにを言わんとしているのか。
自分の指先しだいで、どうにでも操作できるようになる。
どんどんいこう。未知の世界へ。自分の知らない自分の未確認エリアに飛び込んでいく。
そこには、だれも立ち入ってじゃまするものはいない。好き放題にできるわれひとり。
なんでもあり。空想、妄想の世界観。これでもって言葉がでて文章が綴られていく。
自由きままにかきだすと、止まらなくなってしまう。
その代りになにを言わんとしているのかは、あとで読んでも判らない。
打っている時はなにかの思いをとりだして、画面に表現しようとしていたのではなく、
自分の想いを画面に映し出していたのだ。
いましかない。いまこのときこの時間。
画面に映し出された文章をみながら、いまこの空白の画面にただただ入力することができるようになりたい。
考えながら文章をうつことと、すでに存在する文章を画面に映るようにキーボードに入力していくという違い。
ブログを書き出すまえは、紙に書かれてある、または印刷してある文章を、キーボードをたたいて
一字一句間違わないで入力していく作業が苦痛であった。
しかし、文章を書いていくうちにキーボードに言葉を入力していくこと自体は何でもなくなった。
まるで、鉛筆で手紙を書いているようなそんな感覚である。
いつのまにか、成長している自分がここにいる。
成長している自分がいることを感じながらも、どうしてか、文章を書くとなると筆が進まなくなる。
多分、考えながらキーボードを叩いていくとそうなるのだろう。
いつも同じ机の上での執筆作業は、マンネリ化してきていて前に進まなくなるときがある。
いつもの環境の中での作業なので、いつもどおりできるはずであるが、なぜかできない。
できないとなると、できないことに意識がいってしまい、文章が書けなくなる。なってしまう。
そこで、気分転換だ。
散歩とか、喫茶店にいくとか、電車に乗るとか、違った環境の中に自分の身を置くことで
気分を切り替えることができ、違った環境での執筆がうまくできる場合がある。
周りの事を気にしないようにするための集中力が発揮されて作業がすすむ。
しかし、長時間の作業は時間や場所の制約がかかるので無理である。
最近発見した。
個人の空間としては最高の場所が身近なところにある。時間制限のない場所さえ確保できれば
延々と作業しておれる空間があった。
それは、車の中だ。 自宅の駐車場においてあるのなら、もう最適空間が見つかったも当然である。
車の中での執筆はなかなかのもんである。
自分の車であるので、誰にも気兼ねすることはない。
時間も場所も確保できている。車内の空間をそのまま使える。運転席はハンドルに邪魔される。
なので、助士席か、後部座席に座りノートパソコンを膝の上におきタイプしていく。
ちょっと窮屈かもしれないが、この作業環境が苦にならなければ、快適な作業空間がある。
さらに、多少大きな声で文章を読み上げることもできるし、好きな音楽を聞きながら作業ができる。
なによりもエアコンがついているので、快適な室内温度をキープできる。
問題があるとすれば、ノートパソコンのバッテリー持続時間をどのように確保するかということ。
最初からバッテリーの持続時間の長いノートパソコンを選ぶ。
シガレット電源を使った充電器でノートパソコンを充電しながら作業する。
自宅の駐車場であれば、電源ケーブルを車内に引き込み、ノートパソコンに接続する。
バッテリーの持続時間を補う方法はいくつかあるので、自分でできる方法を選択するとよい。
まずは、書いて書いて書きまくる。
もし、ブログ記事の執筆が進まなくなったら、気分転換に車の空間を使う方法もある。